2つの「マラ5
」 その3  苦いデビュー つづき





カラヤン ライブ演奏は、スタジオ録音には無い、楽しみがある。スタジオ録音(CD作成を意図したセッションを意味する)は、どんな録音でもある程度の編集はあたりまえに行われており、完璧ではあるが魂の抜けたような演奏が少なからずある。逆に、ライブ演奏は、細切れの音楽ではなくて、連続した時間の中で生まれてくる独特の感興が身上だ。時には燃え上がるような名演が記録される可能性がある。そのような演奏にめぐり会うことは、音楽愛好家の最大の喜びであり、それなら海賊盤でも厭わない。

 しかし、逆に演奏家にしてみれば、どうしてもこれだけ残してほしくないという場合もあるだろう。ライブ演奏には事故はつきもの、ミスは消し去ることは出来ないからだ。それを何もかも晒されるのは、演奏家にとって絶え難いことに違いない。



 1楽章最後の「スカ」で、オケは動揺したように思う。動揺はクレッツァーだけに起こったのではなかった。2楽章ティンパニーの轟きの中でチェロが独白を続ける部分がある。この直前、薄い伴奏の中で、ソロ・トランペットに跳躍を伴う難しいパッセージがある(練習番号10、160小節目)。1楽章のスカを引きずっているのか、ここで、派手に外している。全音符なのだが、正しい音に矯正しようとしたものの、結局正しい音は最後まで出なかったため、恐ろしく「間抜け」な音が出てしまった。ベルリン・フィルとしてはかなりみっともない外し方だ。金管セクションのメンバーは蒼ざめてしまったと思う。


 この瞬間から、デビュー戦は苦く壮絶な戦いになった。明らかに、トランペットの音には不安と迷いが見られる。そして、彼の不調はオーケストラ全体に広がっていった。
 2楽章は、この演奏にかぎらづ、アンサンブル的に破綻につながる罠があちこちに仕掛けられている。後半、嵐のような音楽は続いていくが、まづ、ティンパニの重要なソロ(合いの手)が行方不明になった。つまり、落ちた。もうむちゃくちゃに叩いている(練習番号26から27まで)。この状態が10数小節続く。
 そして、2楽章最大のクライマックス(5楽章のコーダのクライマックス金管コラールが2楽章で予告される部分)への入り直前の数小節(496-498小節目)で、オケのアンサンブルは完全に破綻している。ばらばらだ・・・。

 こんなことがライブには起こるのだ・・、あのベルリンフィルでも・・・。(知りたい方は青盤を購入されたし!この部分の事故は、実質的に直前で落ちたティンパニ奏者と、金管楽器のアンサンブルの問題で、音量の大きい彼らが結局、オケの音となっている。音の大きい楽器が、ずれると悲劇が起こる例。それだけに、ティンパニや金管楽器奏者の責任は重い・・・。)


 これ以後、3楽章は、Hrのザイフェルトの個人技は素晴らしいものの、あちこちでオケ・アンサンブルのおっかなびっくりなところが多発する(この演奏でのザイフェルトは本当に素晴らしく、一音たりともミストーンはない、貫禄の違いを見せつける)。
 ずれそうでずれないところが、さすがとも言えるのだが、あちこちでヒヤッとする場面が出くわす。カラヤンもさぞかし、苦々しく思ったことだろう。クレッツァーの動揺は、まだ続いていて、3楽章の肝心のソロ(練習番号13)でも1小節早く出間違える。かつ、難しいスラー跳躍音(Fis)で再びスカをやらかしている。(ベルリン・フィルが音を外すことはあっても、「スカ」をやるのは、これまで20年以上聴いてきたが、一度もなかった。)


 ここまで聴いて、正直言ってつらくなった。
 トランペット奏者の気持ちを考えれば、こんな演奏が残されて聴かれるのはいかにも、不本意だろう。その辛さは、アマチュアでも同業者が一番よく分かる。むろん、トランペットのことを余り知らない聴衆には、まったく些細なことかも知れないが・・・。

 しかし、ベルリン・フィルはこの状態のままでコンサートを終わらせるような半端なオケではない。世界最高オケの沽券に関わる事態だ。4楽章の彼らの強靭かつ柔軟な弦楽アンサンブルは、客席を魅了するのに十分だった。


 そして、第5楽章のロンド、イン・テンポで進む音楽は鋼鉄のようなアンサンブルのベルリン・フィルの独壇場だ。最後のクライマックス(731小節以降)はベルリン・フィルの金管楽器群の圧倒的音力で、有無を言わせづに聴衆を降参させている。金管セクションとしては、前半の多発した事故の記憶を一掃するために、総力戦を掛けている。クレッツァーも、クライマックスのH(ロ音)のハイトーンには名誉挽回への執念が込められている。中盤の劣勢を最後にうっちゃったというところか。




BPO のトランペットパート(1977年)
新旧の奏者が顔を揃える。
 ここで、少し想像を膨らませれば、この演奏会は別の意味でのプレッシャーもあったに違いない。
 この演奏会、1973年シーズン最後の演奏会であるが、それまで、BPOの主席Tp奏者だった、フリッツ・ベーゼニック氏がトップの座を降りようとしている時期だった。ベーゼニック氏は、1950年代からベルリンフィルの看板であった奏者で、カラヤンの録音のトランペットは彼の音である。この演奏では、ベーゼニック氏と、次期トップの新人クレッツアー氏がダブルで1番を吹いている。ff部分の音圧は、間違いなくベーゼニック氏のものだ。そして、ソロの部分はクレッツアー氏。そのプレッシャーたるや大変なものだったろう。




 結局、聴衆は非常に沸いていた。しかし、カラヤンにとっても冷や汗ものの演奏記録だ。冒頭のハードスケジュールを見れば、おそらく2月のレコーディングと本番以来の、「ぶっつけ本番」に近かったのではないかと推測する。
 鳴り物入りで大きな話題を提供した若いソロトランペット奏者(当時23歳)にとっては、苦いデビューの思い出に違いない。東洋の島国の中とは言え、CD−R盤で海賊盤として勝手に販売されるのは心外だろう。
 それでも、21世紀のハイテクのおかげで、長年の自分の疑問がすっかり解けた。そして、憧れの奏者のほろ苦い経験を分かち合えたのは収穫だ。ライブ演奏だけが持つドラマを目撃できた。



 クレッツァー氏自身は、ベルリン・フィル100周年の記念出版物の中で、思い出深い演奏として、このカラヤンとのマラ5とバーンスタインとのマーラー9番を上げてる。彼は、首席奏者として、30年活躍し続けて、現在では既に53歳、少しずつ腕が落ちているのはよく分かる。数年で、主席を降りることになるだろう。
 同僚だった、もう一人の首席トランペット奏者コンラディン・グロート氏(鹿島屋さんが1998年2月に金沢で演奏会をプロデュースした)が勇退して、ベルリン音楽大学の教授に収まった。

 自分のアイドルだったオーケストラのスター奏者だんだんと去ってしまう寂しさをかみしめている。
 



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