2つの「マラ5
」 その3  苦いデビュー



カラヤンのマラ5正規盤ジャケット
カラヤンのマーラー5番正規盤のCD
(グラモフォン・オリジナルズ)
録音は1973/2/13-16
ベルリンイエスキリスト教会

 カラヤンとベルリンフィルの1972−73年シーズンの演奏曲目のリストがここにある。同時期1973年の年明けから、多くのレコーディングセッションも平行してなされており、R.シュトラウスの交響詩を始めとして、ベルク、ウエーベルンやマーラーの5番、大地の歌など、カラヤンの得意としていたレパートリーが並んでいる。
 そんな中、2月17,18日に問題のマラ5が初めて演奏されている、レコーディングは前日の2月13-16日だから、レコーディングを終えてから、そのままコンサートをするというカラヤンらしい効率的な方法が取られている。その後、6月のシーズンオフまで、精力的なプログラムが続いている。シーズンオフは、ベルリンフィルの面々は、ザルツブルク音楽祭等に出演して、アルバイトに励むのが通例だ。




 「青盤」のマラ5は、新春のベルリンでの初演に続いて、夏も終わりの8月28日のザルツブルク音楽祭の「取り」のコンサートだった。

 ザルツブルク音楽祭でのカラヤンの多忙ぶりはすごい
。8月に入って、ウイーン・フィルと「フィガロの結婚」の練習と本番6回、オルフの「時の終わりの劇」の世界初演と練習と3回の本番が8月25日まで続いている(ケルン放送交響楽団との共演)。そして、27日にベルリン・フィルと「ブラ1」メインのコンサート、そして、翌日にこの「マラ5」1曲のコンサートで締めると言うわけだ。実は、このコンビの仕事は、これで終わりではなく3日後の8月31日には、ルツェルン音楽祭に参加して、「悲愴」をメインとしたコンサートを行なうのである。なんというハードワーク!!

 ちなみに、続くその秋には、来日公演を持っており、毎夜異なるプログラムで音楽史を俯瞰するようなプログラムを組んでいるのに驚かされる。同時に、日本では営業用プログラムを組んでいたのだな・・と言うことまでわかる。
 この時、73年秋の来日公演では全プログラムがFM生放送された。当時、「運命」「田園」「新世界」が音楽のすべてだった自分にとっては、ほとんど知らない曲ばかりだったが、小学生の自分は夕食もとらないで、ステレオの前に座っていたように思う。当時、石川県の田舎では、子供がクラシック音楽を聴く事は特異なことで、変人(変子供)扱いされた記憶がある。

 カラヤンは、翌年の74年6月23日にマラ5のウイーン公演(ムジークフェライン)を行い、この後、彼の関心は一時マーラーの6番の方に移っている。そして、4年後1977年12月11−12,18日ベルリン、1978年の元日ベルリン、5月15日ザルツブルクと5番を再演し、以後カラヤンの演奏履歴からはマラ5は消えている。生涯で合計9回の演奏だ。(正確でない可能性もある。)



 さて、カラヤン3回目の演奏である青盤「マラ5」は、日本では恐らく73年の年末辺りにFM放送されたはずだ。このマラ5、はたして、どのようなものだったのだろうか。



マルティン・クレッツァー 冒頭注目のトランペットソロ、正規スタジオ(イエス・キリスト教会)録音と同じ奏者であることは、音色と奏法でわかる。しかし、スタジオ録音より、かなり力が入っていて、冒頭から、90%くらいの音量で飛ばしている。ほぼ完璧にハイテンションのソロを吹き切って、順調に曲はスタートした。

 このトランペッターは、マルティン・クレッツァー、1950年生まで、金髪のハンサムな奏者だった。日本の雑誌記事などでは、尾ひれがついて、17歳の天才少年トランペッターなどとなっていたが、正確には当時23歳。噂どおり、このマーラーの5番のソロ演奏の時期に、ベルリン・フィルに入団し、現在まで、28年間もソロ主席奏者を続けている。そのデビューシーズン演奏の一つがこの「青盤」なのだ。

 ベルリンでの初演とレコーディングを2月に既に終えたとは言え、世界中のお金持ちと音楽ファンが集う、伝統と権威ある音楽祭の最後を飾るコンサートで、しかもカラヤンが長い音楽キャリアの中で初めてマーラーのシンフォニーを取り上げる。そして、そんな鳴り物入りのコンサートプログラムの「顔」の役割が若きクレッツァーに与えられたのだ。なんと言う大きなプレッシャーだろうか・・・・。成功すれば、ベルリン・フィルのスタープレーヤの仲間入りであり、失敗すればその負い目を背負っていかなければならない。曲のスタートは間違いなく、大成功だった。


 ザルツブルク祝祭大劇場のデッドな響きのために、海賊盤ではあるが、各パートがかなり鮮明に録音されている。この頃のベルリン・フィルには、本当に大変なスター・プレーヤがごろごろしていた。フルートはジェームス・ゴールウェイであることが、そして、オーボエはローター・コッホであることが一聴して分かる。その惚れ惚れする音は彼ら固有のものだ。ホルンは言うまでも無く、名手ゲルト・ザイフェルトだ。いずれも、オーケストラプレーヤとして、世界最高の名声をほしいままにしたスター達であり、ベルリンフィルが世界一のオーケストラと言われる所以である。また、ヴァイオリン等の高弦群の音程の正確さ、純度の高さ、美しさ、「12人のソリスト」であるチェロ、重厚なバスは、ベルリン・フィル以外では考えられない。これらの美音が惜しげも無く1楽章で繰り広げられていった。トランペットは1楽章中間部クライマックス、鬼門のE→As→Hのオルガントーン(247小節)も見事に決めた。

 ここまでは、完璧な演奏だった。しかし、ちょっと飛ばしすぎていたのかも入れない。1楽章の最終部近くソロ・トランペットが一人、ピアニッシモで残る部分(392小節目)がある。最後の音が不発、消えてしまった。いわゆる「スカ」である。スコアに書いていない空白を作ってしまった。ここから、このコンサートの悪夢が始まったように思う。




 



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