最終更新
00/7/14
伴氏
  伴 有雄氏



左の写真は第37回定期演奏会(1977年)プログラムより転載
第37回 77/1 ブラームス2番、エグモント 他
 

伴氏 自伝
(第37回定期演奏会プログラムより)

伴有雄氏は真の金大フィル史上最初のプロ指揮者であった。
 

 ブラームスと私のヴェルターゼ


 ドイツのデットモルトに留学して2年目、1965年夏のこと。ザルツブルグという名にひかれて、右も左もわらぬまま私はインターナショナル指揮者講習会に出むいて行った。「人の振り方を見るだけでも意義のあることだ」と言った学長の言葉が妙に胸につっかえていた。大勢の中から三十数人が採用され中には私の名前もあった。第一日目の午前9時ゼロ分からきびしい練習が開始された。「ブラームスの第2シンフォニー」、誰でもいいから指揮台に出てこい!"世界中から集ったプロ・アマの指揮者達は先を争って狭い一角を独占しようと、戦場に向う将軍のような歩を運んだ。しかし5分とその一角を守り得た者は片手の指の数も居なかった。曲が進むにつれて、指導者の訓練の熾烈さに泣き出すプロ、喰ってかかるアマ、逃げ出す者と様ざまだった。この厳しさに恐れをなして片隅で小さくなっている私を鷹の目は見逃さなかった。"そこに居る日本人、君はまだまだ一度もやってない。出て来たまえ"来るべきものが遂に来た。好奇と緊張の眼差しが一斉に注がれる中を死刑囚のような足どりで指揮台に向った。"ブラームスをはじめたまえ!"もうどうにでもなれ!無我夢中で私は何をやっていたか、突如響き渡る雷のような声とともに私は現実に引き戻された。”ストップ!!!君はバスへのアインザッツを落とした””いいえ、ちゃんとやりました””やってない!””やりました”数回の押し問答は大きなゼスチュアを伴った”席に帰れ”という一喝でうち切られた。「やれやれ、これで拷問から逃げられたが、しかしもう2度と指揮台に上がることもあるまい」安堵と諦めの交錯する云いようのない気持ちで席に引き上げた。ところが翌日の彼の第一声はHerr Ban前へ出ろ!であった。我が耳を疑っていると第2声が続いた。”ブラームスをはじめろ!"そして事の成行きを理解する暇もなく、連日の特訓が私に対してはじめられたのである。次々にうち出される要求に応えるべく必死の勉強を続けた。”私が指揮者として育てたいのはこの中でバンー人だ"と彼は公言してはばからなかった。私はただ夢中だった。彼の一挙手一投足、一言一句に私の全神経が集中された。全てが新らしく感動的な体験だった。モーツァルテウム音楽院の大ホールで行なわれたコンサートで私はブラームスの2番を指揮した。多くの人に祝福され、翌日の合評会で彼は私への賛辞を惜しまなかった。

 この感動的な体験の余韻をいだいたままデットモルトに到底帰る気にはなれなかった。そうだ、ブラームスが2番シンフォニーを書いたヴェルター湖へ行こう」矢のような心でイタリーとの国境近いケルンテン地方へ南下した。車窓から見えるザルツアッハの流れに見入ったり、「フィガロ」のスコアーに目を通したりしていると、前の席の美しい女性に声をかけられた。”フィガロは私の最も好きなオペラです"という彼女の言葉から会話は流れて講習会の事にまで及ぶと”その指揮者を私は知っています ウィーンでの彼の素晴らしい演奏を聴きました。私 彼の大のファンです” 私にはこの女性が一層美しく、我が師より偉大に感じられた。

 次々と目の前に繰り展げられるオトギのようなパストラールな風景をひなびたガタゴト汽車から眺めながら、少年のように弾む心を抱いて、アルプスの山々と大小2百以上の湖、そして無数の教会と素朴な人情の里、ケルンテンへ回った。ヨーロッパの奥深くに来た実感と孤独のよろこびがひたひたと胸に打ち寄せた。そしてそれから数日後にヴェルター湖畔に立った時の感動を私は生涯忘れることがないだろう。湖にせまるアルプスの山並みが重なり合って湖面に投影した素晴しさに我を忘れて没入しているとき、、第2シンフォニーのホルンのテーマがアルペン・ホルンのように殷々として山々に湖面にそして私の心に響きわたった。私は心の底から感動にわなないた。当時私は既に30才に手がとどいていた。けれども私の心のふるえは初恋のそれも及ばぬ程大きく、無限に広がる世界が少年の夢のように私の前にあった。私はくり返し自らにつぶやいた。「今が私にとって最も幸せな時、この瞬間は我が生涯に二度とめぐり来ることはない」心ゆくまでその幸せをかみしめたかったのである。以来ケルンテンは私の心のふるさととなった。そしてそれは今も変ることなく、生涯を通して変ることがないだろう。




伴氏 語録
伴 語

さてと、伴語録から印象深いものをいくつか、

 冒頭とunisのF音には、この序曲の全てが、ひいては、この悲劇の全てがこめられている。だからそんな気持で、

 主部に入ってすぐに出てくる"2nd Vn''のきざみは、この序曲の心蔵の鼓動である。楽器をしっかり抱え込むようにして、

 ベートーヴェンの一音一音は、彼の表情したい諸々の事柄の血のにじむような凝縮の、その結晶である。何一つ、ないがしろにすべき音はないのだから、
 その他色々。

 念願のプロ指揮者の最初の某の下から出た音、それがこの「エグモント」の冒頭のFの音だったのです。その緊張の張りといったら、もう・・・・・・。
いつまでも忘れられない、また忘れてはいけない大切なものがあったと思いました。






金大フィルの印象
30周年記念誌より
客演指揮者  伴 有雄 氏
日本ニューフィルハ−モニー交響楽団音楽監督




 金大フィルハーモニー管弦楽団の創立三十周年おめでとうございます。これを契機として、貴団が今後一層の発展をとげられんことを心から期待致します。
 私が金大フィルを指揮してから既に四年の歳月が流れておりますが、当時の様々な体験は私の心に強く刻み込まれていて、今でもはっきりと想い起すことが出来ます。私にとっては演奏会そのものよりも、練習時の情景や、その他、数々の出来事の中における諸君との心のふれ合いの方が、より鮮明に私の脳裏に焼きつけられております。最初の出合いにおけるエグモント序曲の緊張感、寒さにふるえた能登の合宿での練習、そして演奏後のお寺での打ち上げコンパの忘れられぬ情景など数えあげれば際限がありません。

 演奏会当日、決して好調とは言えなかった私自身の、それの闘いの中に終始せねばならなかったブラームス。しかし、それでも諸君は感動し涙を流して素晴しい音楽的体験をつくりあげました。あの能登の海に象徴されるような北国の人々の心の奥底に秘められた情念の、とどまることを知らぬ激しい噴出に私は驚嘆致しました。コンパでの出来事と諸君一人一人の顔が、あの時の諸君への感謝と自らへの悔いの念の交錯した複雑な心境と共に想い出されます。
 しかし、今にして思えば、そのこと自体がいかにもブラームス的であり、諸君が感動したブラームスはやはり素晴しい演奏に違いなかったのです。北欧の海から遠くへだった日本の北国の人々のブラームスは、それに私を加えてやはりひとつの記念すべき出合いだったと言えるでしょう。

 この世に若さほど素晴しいものはありません。そしてその若さを音楽にぶっつけることは更に素晴しいことだと思います。音楽するよろこびの極限はアマチュアの心になり切った時にのみ得られるものです。アマチュアの情熱とアマチュアの謙虚さを失うことなく、これから更に音楽する真のよろこびを追求されんことを願って止みません。